僭越ながら私が櫻茶ろんの着付師&講師のれいです。 |
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だまっていると優しそう(笑) 本当は間違った事が嫌いな江戸っ子な性格。 子供の頃から「お姉ちゃんでしょ!」と、 育てられたので、典型的な長女性格で、 人に甘えられない損なタイプ; |
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必 要 | |||||||||||||||||||||||||
自分以外の人が作ってくれた 食事なら何でも☆ |
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嫌いな食べ物 レーズン。他は殆ど無し |
好きなタイプ 誠実な人、面白い人 |
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嫌いなタイプ 図太い人 |
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年 齢 アラフォーです |
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特技かどうか分かりませんが; 着付け以外の事を挙げてみます(^^ゞ 歌う事 ゴルフ(最近始めました ヘタクソです;) お 花(たまたま池の坊を趣味程度) |
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歌う事が大好きです。正確に言うと、コーラス仲間とハモルのが好き♪ 岐阜県の西濃地区にてコーラス団に所属しています。 ジャンルは、アカペラ、ポップス等の曲を中心に、 コーラスのコンクールにも出場したりと、楽しく活動しています。 現在、仕事が多忙で、わたしは活動をお休みしています。。
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自分を「着付師」と言えるようになった、最初のきっかけ
20代前半の頃、、、わたしは、自分に出来る事を探していました。 元々は音楽関係の学校へ行き、そこで楽器演奏や修理、音楽史、音楽通論等を学んで その 憧れだった音楽関係の仕事に代わる、他の仕事や、生き甲斐を探す為の 「自分で着物が着れたら、絶対かっこいい!」 そのくらいの気持ちだけ(^^ゞ 将来、まさか仕事にしている日がくるとは、夢にも思っていなかった、15年以上前の私です。 |
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20代前半の頃、地元にある大手着付教室に入学し、 そこでまず、みなさんと同じように、最初の一歩的な事を勉強をします。 着物もたためず、格式も全く分からない、おまけに礼儀知らずで、ただ若いだけの酷い状態f^^); 二年くらい通い、一旦お稽古は終了。 着付けではなく、他の職業に就く為のスキルを勉強中、たま〜に、 着付けの方は、何となく始めた事とはいえ、せっかく勉強したのがもったいなく、 普通、講師の資格を取ったからって、すぐに知らない人達が、「教えて〜着せて〜〜」なんて事にはなりません。 わたしの場合、第一のきっかけは、きっと母です。 わたしの母は、困っている人を見かけると、ほってはおけない性格でして、 これがなかったら、現在「着付けを職業」とは言えない、無縁の生活をしていたに違いありません。 そんな日々を続けていたある日、私は大手呉服メーカーに就職する事になります。 その店は「呉服購入のお客さんには無料で着付サービスをします」というのを行っていて、 着物販売は思った以上に大変で、ほんとすぐに辞めたいくらいでしたが、 この辺が、妙に負けず嫌い(〜〜; これを聞くと、とても順調に、、、と思われるでしょうが、ホントこの呉服屋ほど厳しい職はありません。 因みに、生徒さんの中には「私も呉服屋に就職しようかな〜」と相談してくる時があります。 だいぶ 人間不信になりました(〜〜; 考えようによっては、その一年間は、着付けと呉服業界の裏側;を、たまたま、何となく就職した職場で、 偶然実家から、車で10分位の所に、大型和風旅館があり、そこを職安で紹介されました。 その中で、また流れの中、大型旅館の中で営業している、会席料理のレストランで、 店の責任者っていったって、そんなにかっこいい仕事ではないですよ。 それでもわたしは、人と接する仕事が、事務職よりも肌に合っていると思って、 そこで転機その2。 着付けを、人に教えたのはこの時が初めてでした。 多くの着付け講師と呼ばれる人は、免状は持ってても、普段は着物も着なければ、着せる機会も殆どない、 今にして思えば、普段和服を着ない人から、着物をきせてもらうなんて、自分だったら絶対に遠慮したい;; 会席料理店では3年間、暇な時も忙しい時も、毎日毎日一日中、小紋や色無地を着て、帯はお太鼓をし、 この経験も、今の自分にとっても役にたっています。 まず 急な仕事や、不測の事態の対応はもちろん、20歳のお嬢さんのまま、歳だけを重ねていたら、 着付けのスキルも衿元を押さえる紐は、 着付け教室や着付師としてのキャリアは、だいぶ大回りをしましたが、和服にまつわる色んな仕事を 「正しい着付教室の選び方」に、さんざん私の着付け教室に対する、色んな思いが述べてありますので、 中略〜 故に?!私は、着付けの資格は、勉強した御褒美くらいに考え、大事なのは着付けの場合、 何でもそうですが、人に教えを乞うという事はお金がかかるので、余談ですが勿論貯金も結構使いますf^^); 本当は、この教室で、登録講師になれればと思って通学を始めた訳ですが、やはりそこでもシステムが色々複雑で、 二つ目の、この着付スクールに迄来ても、やはり私は、無名でも、個人でやっていこうと思いました。 さくらさろんの元の形の始まりです。 今迄の私の場合、着付け教室の生徒さんは、地域の知り合いや友人から始まり、それ以外も全て口コミだけで、 ここ迄きて、ちゃんと宣伝をする事にしよう!と思います。 始めは、自分の足で宣伝しました。わたしはここにいるよって。。 着付け講師と、着付け師としてのスタートを、順調切ったように思うでしょう。。。実はそうでもありません。 チラシ作ったって、看板出したって、少人数の協力者がいても、 その間あまりに長かったので、着付けを辞めて、普通に働こうと何度思った事か、、、 甘かった。。・゜゜・(> <;)・゜゜・ 時間だけはある日々。。とりあえず友人達が、ちらほらとパソコンを持つようになってきた世の中。 貯金ないし、高くて買えなかったPCを、とりあえずリースで手に入れて、使えるようになろうと、 そんなある日、とある呉服屋さんが始めた大手着付け教室の社長から、声がかかります。 しかし始めのうち実は、昔 呉服屋に就職した事がきっかけで、その強引とも思える商法を遂行している職場にて 人間不信だったし。。 でも、この団体を主催する社長さんは本当に誠実で、私の考えや、やり方を応援をして下さり、 私が理想としていた「大手スクールが発行するお免状は、そのコースが修了する、後からでも、 普通、多くの大手着付教室では、カリキュラムが始まれば、免状の欲しくない人も、 そんなこんなでごたごたしていた中、上記のエピソード中の2001年に結婚。 まだつづく この話^^; ちょっと、懲りてきています(〜〜; 嫁入り先は名古屋。。今度は、すでに着付教室が沢山存在する都会。 家のローンも、これからは発生するので、普通にとりあえず働こうと、、、働いた方がいいと思いました。 新居マンションは、間取りがある程度ならセレクト出来る事になっていました。 そして結婚し、生活の舞台が岐阜県から名古屋になった時、第3の転機。 一応に少人数ですが、実家周辺には生徒さんが見えて、それは彼女らが、自ら辞めると言う迄は続けたかった。。 和室は狭いけど、一人か二人なら出来そうだったし、第一、習いたい人がいるかどうかも分からない。 ある意味 実に気楽です(^^ゞ とはいいましても、せっかく;?名古屋にやってきたし、時間だけはあって、 「さくらさろん」、、人が気軽にこられる、サロンになればいいな、、、 さくらは愛犬の名前です。 募集したら、即お大盛況☆って事にはまずなりませんから、その一人目の生徒さんが現れる迄の間、 そうしたら なんという事でしょう!( 解決ビフォーアフターの決まり文句^^;) 六人!!;; 世の中の着付け教室に対して、一石を投じるような内容のわたしのHP。。 岐阜県の田舎から、へたくそなレイアウトで、ローマ字入力も出来なくて、さみだれ打ちで作っていたHP;; 知らない方から、たまにくる、「そうそうその通り!」っていうお便りが、唯一嬉しかった、、。 地道な活動を始めて約10年。 やっとチャンスの花が開きました。 名古屋に教室を構えてから、10年くらいになりました。現在では、15〜25名位の生徒さんが通ってくださる、 それに加えて、教室が潤っていると、着付けの仕事も合わせて、ビックリする程増えて行きました。 今度は引くに引けなく;だんだん幕引きのはずが、、まめな性格が裏目に?!^^; 最近では 美容学校へ入学、卒業、そして国家試験に合格! 美容師免許を持った着付師になる事にも成功しました(; ;)/ 今後は着付師としても、講師としても、カリキュラムは私の成長と共に、どんどん進化して 長かったですね〜(ーー; 皆様ご静聴?!有難うございました(^0^)/
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