僭越ながら私が櫻茶ろんの着付師&講師のれいです。
決まり決まった着付の先生らしい先生では決してありません(^^;ゞ
どちらかと言えば人を笑わせたり 一緒に楽しむ事が大好きです。
まだまだ一部ですがれいさんを紹介します

だまっていると優しそう(笑)
本当は間違った事が嫌いな江戸っ子な性格。
子供の頃から「お姉ちゃんでしょ!」と、
育てられたので、典型的な長女性格で、
人に甘えられない損なタイプ;
必 要
自分以外の人が作ってくれた
     食事なら何でも☆
嫌いな食べ物
レーズン。他は殆ど無し
好きなタイプ
誠実な人、面白い人
嫌いなタイプ
図太い人
年 齢
アラフォーです
特技かどうか分かりませんが;
着付け以外の事を挙げてみます(^^ゞ

歌う事
アルトサックス演奏(むか〜し昔の若い頃)
料理(ウソ;旦那さんの毎日の弁当を、
いかに時間をかけず(手を抜いて;)に
用意するか、の最短記録に毎日挑戦(笑)

ゴルフ(最近始めました ヘタクソです;)

お 花(たまたま池の坊を趣味程度)
お 茶(他の人が点てたお茶を頂くのが
    好き。特技じゃないですねf^^);

歌う事が大好きです。正確に言うと、コーラス仲間とハモルのが好き♪
岐阜県の西濃地区にてコーラス団に所属しています。
ジャンルは、アカペラ、ポップス等の曲を中心に、
コーラスのコンクールにも出場したりと、楽しく活動しています。

現在、仕事が多忙で、わたしは活動をお休みしています。。


映画鑑賞
得に好きな映画は、ジョディフォスターの「コンタクト」
ジュリーアンドリュースの「メリーポピンズ」
ジーナデイビスの「プリティリーグ」
ダニ−ケイの「ホワイトクリスマス」
ジャンルばらばらですねf^^);
その他沢山好きな映画があります。

自分を「着付師」と言えるようになった、最初のきっかけ 

20代前半の頃、、、わたしは、自分に出来る事を探していました。
当初は、着付の講師に成りたいと思っていた訳ではありません。

元々は音楽関係の学校へ行き、そこで楽器演奏や修理、音楽史、音楽通論等を学んで
やはり音楽関係の仕事についたのです。
しかし 残念な事に、その仕事を断念する日が、すぐに訪れました。

その 憧れだった音楽関係の仕事に代わる、他の仕事や、生き甲斐を探す為の
様々なチャレンジの中に、たまたま「着付け」があったのです。

「自分で着物が着れたら、絶対かっこいい!」 そのくらいの気持ちだけ(^^ゞ

将来、まさか仕事にしている日がくるとは、夢にも思っていなかった、15年以上前の私です。

20代前半の頃、地元にある大手着付教室に入学し、
そこでまず、みなさんと同じように、最初の一歩的な事を勉強をします。
着物もたためず、格式も全く分からない、おまけに礼儀知らずで、ただ若いだけの酷い状態f^^);

二年くらい通い、一旦お稽古は終了。
この時は趣味程度でした。

着付けではなく、他の職業に就く為のスキルを勉強中、たま〜に、
着付け教室からの依頼で、創作帯結び発表のモデルや、夏祭りの浴衣ステージショー、
県警の、交通安全のキャンペーン タスキを肩にかけて、振袖を着てニコニコ^^;と 言ったお手伝いの声がよくかかり、
まぁまぁ公の場で、和服と付合う機会に割と恵まれ、また そのくらいで満足していました。

着付けの方は、何となく始めた事とはいえ、せっかく勉強したのがもったいなく、
平日は別の仕事をしながら、たま〜にボランティアのような感じで、
実家のある田舎で、少々活動しておりました。
今思うと、当時はキャリアも仕事も少なく、お金なんてもらえるレベルではなかったですねf^^);

普通、講師の資格を取ったからって、すぐに知らない人達が、「教えて〜着せて〜〜」なんて事にはなりません。

わたしの場合、第一のきっかけは、きっと母です。

わたしの母は、困っている人を見かけると、ほってはおけない性格でして、
常日頃からご近所さんとおつき合いをし、仲良くしていてくれたおかげで、
特に取り柄のなかった、普通の娘のわたしは、気がつけばまわりから時折「着せてちょーだい〜」と、
奇跡的にも声をかけてもらえていくようになったんです。

これがなかったら、現在「着付けを職業」とは言えない、無縁の生活をしていたに違いありません。

そんな日々を続けていたある日、私は大手呉服メーカーに就職する事になります。
これは成り行きです。。本当は、違う職業に就きたかったのですが、なかなか狭き門で、採用されない日々が辛く;
なんとなく大手呉服屋さんに、ちょっと面接に行ったら、採用になってしまいまして; 
でも もうふらふらしていたくなく、とりあえず就職f^^);

その店は「呉服購入のお客さんには無料で着付サービスをします」というのを行っていて、
着付サービスをうたっているのに、
たまたま その着付けを出来る人が、店には少なく、年齢職歴共に一番下っ端だった私は、
気がつけば店の中で一番着付をさせてもらえました。いきなり実践☆

着物販売は思った以上に大変で、ほんとすぐに辞めたいくらいでしたが、
実践で、着付けをさせてもらえるチャンスが無くなると思うと、嫌でも行かなければと思いました。。

この辺が、妙に負けず嫌い(〜〜;

これを聞くと、とても順調に、、、と思われるでしょうが、ホントこの呉服屋ほど厳しい職はありません。
着物を売るという仕事は、「売れない物を売る仕事」でもあるので、私はこの仕事について、
着付と和装のコーディネイトというよりも、呉服業界のありとあらゆる営業を、流れのまま体験していきます。。

因みに、生徒さんの中には「私も呉服屋に就職しようかな〜」と相談してくる時があります。
それは、やめた方がいいですf^^);
あんな 神経からくたびれる大変な経験は、自分だけでよいです。
はたから見たら、綺麗な絹物に囲まれた職場。
その実態は、世の中の大手呉服屋さんが、どんどん摘発され、
訴えられたりのギリギリの世界、、、展示会にお客さんを連れてくるのが仕事です。
黙ってたって着物は売れません。給料もらう為には、その分数字を達成しないといけないのです。 
着付けや小物販売は、おまけなのです。。

だいぶ 人間不信になりました(〜〜;

考えようによっては、その一年間は、着付けと呉服業界の裏側;を、たまたま、何となく就職した職場で、
勉強させてもらいました。
この一年間で、物の考え方や心の持ち用が、だいぶ変化しつつ、心身共に限界を感じ、
その後、同じ和服がキーワードでも、全然違う職種に就く事になります。

偶然実家から、車で10分位の所に、大型和風旅館があり、そこを職安で紹介されました。

その中で、また流れの中、大型旅館の中で営業している、会席料理のレストランで、
3年間サービス業を学びます。一言で済ますなら、気がつくとわたしは、すぐにその会席料理店の
店長のような事になっていました。さすがわ田舎; すごい成り行き(〜〜;

店の責任者っていったって、そんなにかっこいい仕事ではないですよ。
デザートに、やれ髪の毛が入ってたとか、虫がついたなどそんな時、和服着て笑顔で謝るのが主な仕事だったと;
今にして思えば、気を使う仕事でしたねぇ。。

それでもわたしは、人と接する仕事が、事務職よりも肌に合っていると思って、
呉服屋時代、営業成績表が店の奥に貼ってあって、緊張と緊迫した毎日だった呉服屋時代よりは、
和服着て、笑顔でお客さんにニコニコ接して、そして何かの時には、謝る、、、とう方が、気が楽でした。

そこで転機その2。
その職場で、新しい社員やパートが入ってくると、時々、着付けを教えるという事が始まりました。
この会社は、制服が3種類あって、婚礼と和風レストランに入る若いスタッフはワンピース。フロントは事務服。
そして、お座敷と、和風レストランの一部の人が和服。

着付けを、人に教えたのはこの時が初めてでした。

多くの着付け講師と呼ばれる人は、免状は持ってても、普段は着物も着なければ、着せる機会も殆どない、
あっても、半年に一回機会が巡ってくるかどうかの、「講師の資格はあるけど、なんちゃって先生状態」。
そんな状況でも、「教えれるのよ〜〜」と言っていた、、、わたしにも、一時そんな時代がありました。。

今にして思えば、普段和服を着ない人から、着物をきせてもらうなんて、自分だったら絶対に遠慮したい;;

会席料理店では3年間、暇な時も忙しい時も、毎日毎日一日中、小紋や色無地を着て、帯はお太鼓をし、
秋とか春とかの行楽シーズンなんて、もみくちゃになりながら、バイトの手配とか、料理が出されるタイミングとか、
片付けとか、謝るだとか(〜〜;、、 いわゆるサービス業の全部をしていました。

この経験も、今の自分にとっても役にたっています。

まず 急な仕事や、不測の事態の対応はもちろん、20歳のお嬢さんのまま、歳だけを重ねていたら、
逃げ出しているだろう事も、この社会勉強で、ものおじせず、立ち向かおうと思える基礎になっています。

着付けのスキルも衿元を押さえる紐は、
どのくらいゆるくてもいいとか、きつくても大丈夫とかの手加減、、。
ここで体験し、気がつけば、自分自身の実践になりました。

着付け教室や着付師としてのキャリアは、だいぶ大回りをしましたが、和服にまつわる色んな仕事を
流れの中、色々経験できて、なんとな〜〜く、お稽古を習い始めた時から、5年以上過ぎて、
ようやく「ここ迄来たら着付け師としての腕をもっと磨こう」と思うようになります。

「正しい着付教室の選び方」に、さんざん私の着付け教室に対する、色んな思いが述べてありますので、
ここではあまり、世の中の着付け教室の不満は挙げない事にします(^^ゞ
だって本当だったらそんな話し別にしたくはないですものね、、、

中略〜

故に?!私は、着付けの資格は、勉強した御褒美くらいに考え、大事なのは着付けの場合、
資格ではなく「腕」と「キャリア」だと信じ、
他に、自分にない知識や、思いつかないやり方を、純粋に経験ある人先陣達からから、もっと吸収したいと、
今度こそは、「自分で着れたらかっこいい!」じゃなくて;ちゃんとした学びたいという新たな気持ちで、
そこから2年間、また違う大手着付教室に約二年間通いました。

何でもそうですが、人に教えを乞うという事はお金がかかるので、余談ですが勿論貯金も結構使いますf^^);

本当は、この教室で、登録講師になれればと思って通学を始めた訳ですが、やはりそこでもシステムが色々複雑で、
しかも既に先生方は、沢山溢れかえっている状況。
ネームバリューがない着付け教室は、いい噂が広がる迄の日数が果てしないというリスクが伴います。
だから、いい教室や先生に恵まれたいと、思っていたのですが、

二つ目の、この着付スクールに迄来ても、やはり私は、無名でも、個人でやっていこうと思いました。

さくらさろんの元の形の始まりです。

今迄の私の場合、着付け教室の生徒さんは、地域の知り合いや友人から始まり、それ以外も全て口コミだけで、
特に大々的な宣伝はしていなくて、少人数制って言ったら響きがいいですが、
実際、そのくらいしか希望者がいないというふう(^^;ゞ

ここ迄きて、ちゃんと宣伝をする事にしよう!と思います。

始めは、自分の足で宣伝しました。わたしはここにいるよって。。
田舎だったし、まだ一家に一台家庭用パソコンの時代でもありませんでした。
ちらしを、一日八百件の家に配った事もあります。夏だったので、暑くて死ぬかと思いました(ーー;
母の、仲の良いご近所のクリーニング屋さんがすごく親切で、お客さんに声かけ以外にも、
看板まで置かせてくれて(; ;)宣伝に協力してくれました。

着付け講師と、着付け師としてのスタートを、順調切ったように思うでしょう。。。実はそうでもありません。
何故なら、そのスタートからしばらくは、、、しばらくというか数年というか(〜〜;

チラシ作ったって、看板出したって、少人数の協力者がいても、
始めの頃は、自分と関係ない、知らない人からの依頼は全然無く、
こうした活動を始めて、2〜3年過ぎた頃からようやくちらほら依頼が、、というふうなのです。

その間あまりに長かったので、着付けを辞めて、普通に働こうと何度思った事か、、、
実家に暮らしていたから良かったものの、だいたい教室や着付けだけでは、一人で食べては行かれないのです。。

甘かった。。・゜゜・(> <;)・゜゜・

時間だけはある日々。。とりあえず友人達が、ちらほらとパソコンを持つようになってきた世の中。
そして気がつくと、持ってないのは、わたしくらいになっていまして; 同窓会旅行のスキーとかで、古くからの仲間が、
「商売するならPCないと、これからは不便だ」と、わたしにいいました。

貯金ないし、高くて買えなかったPCを、とりあえずリースで手に入れて、使えるようになろうと、
本片手に独学の日々も始まります。そして、さくらさろんのHPの原型を作って行く事になります。
なにより高かったハードル、、、それは、、、ローマ字入力(〜〜;
メールで返事しないといけないお返事。。 電話でいいじゃないよ(T T)と、本気でパソコンが大嫌になりました。

そんなある日、とある呉服屋さんが始めた大手着付け教室の社長から、声がかかります。
もちろん全然知らない人ですf^^);
着物の普及を、うちの教室で共に頑張りましょうと、、ちょっとしたお誘いを受けるようになります。
その学校というのは、通学やネットで展開している着付教室でして、
流派にこだわらない、私の教え方着付け方に、とても共感してお誘い下さいました。

しかし始めのうち実は、昔 呉服屋に就職した事がきっかけで、その強引とも思える商法を遂行している職場にて
ちょっとした人間不振になっていた私は、大手着付け教室とはいっても、
呉服屋さんでもあるグループとのおつき合いは、もうお断り、、、(ーー;と、最初は思っておったのです。

人間不信だったし。。

でも、この団体を主催する社長さんは本当に誠実で、私の考えや、やり方を応援をして下さり、
何度かお会いしてお話するうちに、私は私の流儀でやっていく教え方を守りながらも、
今迄の「さくらさろん」という教室のスタイルを守ったまま、一緒に大手のグループ教室としても、
認めて下さるようになって行きました。

私が理想としていた「大手スクールが発行するお免状は、そのコースが修了する、後からでも、
受けるか受けられないかを、生徒さんが選べる」という教室になる事が出来たのです。
だって、着物の着付けに、資格があってそれにはお金を払うって、着付けは、着る物という日本の文化、
だたそれだけなのに、、という強い想いがわたしにはあります、。

普通、多くの大手着付教室では、カリキュラムが始まれば、免状の欲しくない人も、
欲しい人と同じに、遂行していかなくてはいけないけない事が多いんですよ。
また一人では普通、到底補えない、大手着付教室でしか組めないカリキュラムも
私の営むさくらさろんは、あくまで個人の小さな教室ですが、今迄の生徒さんが通って下さったおかげで、
少しずつ備品を増やして、わたしのキャリアと現場でのアイデアも加わり、
年々パワーアップして出来るようになりました。

そんなこんなでごたごたしていた中、上記のエピソード中の2001年に結婚。
結婚出来ると思ってなかったので、決まったら、とんと〜〜んと行ってました。

まだつづく この話^^;
実を申しますと、わたしは、この結婚を期にレッスンの方は残念でしたがそれでも徐々に辞めようと思っていました。
せっかく、大きな協力者が現れたのですが、和服の仕事と勉強は、続ければ続けるほどお金がかかるだけでなく、
また違う土地からの、一から出発。。。

ちょっと、懲りてきています(〜〜;

嫁入り先は名古屋。。今度は、すでに着付教室が沢山存在する都会。
着付け教室とか着付師なんて、響きがよく聞こえる人もいるでしょうが、
大金持ちの道楽仕事でしか成り立たないという現実。。

家のローンも、これからは発生するので、普通にとりあえず働こうと、、、働いた方がいいと思いました。

新居マンションは、間取りがある程度ならセレクト出来る事になっていました。
和室は6畳と四畳半、どっちにする?と言われ、私は教室経営の難しさを肌で感じてたので
新居では、出張着付けのみで教室はやらないよ、、、と四畳半をセレクトしました。

そして結婚し、生活の舞台が岐阜県から名古屋になった時、第3の転機。

一応に少人数ですが、実家周辺には生徒さんが見えて、それは彼女らが、自ら辞めると言う迄は続けたかった。。
その間、中途半端に他の仕事につく事も出来ない訳で、
あとちょっとだけ、名古屋でもレッスンしていく事にしました。

和室は狭いけど、一人か二人なら出来そうだったし、第一、習いたい人がいるかどうかも分からない。
人が集まらなくて当然。

ある意味 実に気楽です(^^ゞ

とはいいましても、せっかく;?名古屋にやってきたし、時間だけはあって、
ホコリがかぶりそうなPCも、ちゃんと今度こそちゃんと向きなおそうと;小さな意を決し、
独学で勉強。そして教室名を決めてみました。

「さくらさろん」、、人が気軽にこられる、サロンになればいいな、、、

さくらは愛犬の名前です。

募集したら、即お大盛況☆って事にはまずなりませんから、その一人目の生徒さんが現れる迄の間、
今迄手書きだったテキストを、まとめてみたり、、
とりあえず 自分の持っている小さな力を、全て新教室にかけてみたんです。

そうしたら なんという事でしょう!( 解決ビフォーアフターの決まり文句^^;)
周囲の予想を裏切り?! 私の予想にも反して、名古屋での初めての教室に、生徒さんが
6人も集まって下さいました。

六人!!;;

世の中の着付け教室に対して、一石を投じるような内容のわたしのHP。。

岐阜県の田舎から、へたくそなレイアウトで、ローマ字入力も出来なくて、さみだれ打ちで作っていたHP;;
結婚する少し前から公開していました。。

知らない方から、たまにくる、「そうそうその通り!」っていうお便りが、唯一嬉しかった、、。
皆さん 私が岐阜県から名古屋に来てからも、小さな活動を ずっと見ていてくれたんですね(; ;)

地道な活動を始めて約10年。

やっとチャンスの花が開きました。

名古屋に教室を構えてから、10年くらいになりました。現在では、15〜25名位の生徒さんが通ってくださる、
教室らしい教室です。もう和室では狭くてお稽古が出来ず、リビングで行ってます(^^ゞ

それに加えて、教室が潤っていると、着付けの仕事も合わせて、ビックリする程増えて行きました。
着付けが暇だった頃、いつでもスイッチが入れられるように、あてのない訓練とは思いながらも、
お太鼓と、創作帯結びの練習だけは、しつづけていました。

今度は引くに引けなく;だんだん幕引きのはずが、、まめな性格が裏目に?!^^;

最近では 美容学校へ入学、卒業、そして国家試験に合格!

美容師免許を持った着付師になる事にも成功しました(; ;)/

今後は着付師としても、講師としても、カリキュラムは私の成長と共に、どんどん進化して
これからも、さくらさろんは「生徒さんの為の安心して学べる教室」を目指して
親って下さる生徒さん達と、れいさんに着せてほしいって言って下さる依頼人さんの為に、
行ける所迄進んでいきます。。。

長かったですね〜(ーー;

皆様ご静聴?!有難うございました(^0^)/

   

  

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